上伊那地協

戦後70年企画「記念講演会」

2015-08-25

戦後70年となる今年の平和活動は、8月21日(金)18時30分より、特別企画として上伊那地区労働組合会議と共催し、宮田村民会館において記念講演会を行った。(22単組187名参加)
講師は沖縄戦を指揮した司令官「牛島 満」中将の孫にあたる牛島貞光氏。牛島さんは現在、東京都で小学校教諭をされているが、沖縄の子供たちにも毎年のように沖縄戦の特別授業を行うという活動を続けられている。
「牛島満 中将と沖縄戦・70年前の戦争から学ぶ」と題した講演では、なぜ住民から多くの犠牲者が出たのか、なぜ終戦の8月15日以降も戦闘が続いたのか等、沖縄戦の実相が語られた。
終戦の年1945年の4月1日に米軍は沖縄島読谷(よみたん)海岸に上陸後、読谷・嘉手納飛行場を占拠した。牛島中将率いる沖縄守備隊は大本営からの作戦変更指示により持久戦から攻勢に転じ、兵力の2/3(6万4000人死亡)を失う。
沖縄守備隊は5月22日に首里から南部への撤退を決定するが、それは軍民入り混じり混沌とした状態の中での戦闘につながり、住民に夥しい数の犠牲者を出すこととなった。講演会中、実際に炸裂飛散していた「艦砲破片」(写真)が会場内に回されたが、この様な塊が「鉄の暴風」として飛んでいたのだ。流された映像の中で語り部の方が言った「軍隊は住民を守らなかったんです。」という言葉が印象に残った。
牛島司令官は6月18日に「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」との軍令を発し、22日(または23日)に自決する。これにより9月7日に沖縄で降伏調印されるまで遊撃戦は続いた。
戦後70年、国民の多くが説明不足と思っている「安保関連法案」を、与党は今国会で成立させようとしている。これからを“新たな戦前”にしないためにも、ひとり一人が国の動きに関心を持つことが重要だと感じる。